
ペリーの黒船が来航する5年前。弘化年間と記された、仏閣の建築図が残っていますから、この堂宮大工の系譜から数えると、160年以上。 また、香川県から大工職の鑑札を受けた明治42年(1909=創業年)からはおよそ100年、仁尾の風土に社歴を重ねてきました。現在でも市内の至るところにその足跡を見つけることができます。写真は妙見宮の参道にある石碑。ここには、当時の棟梁(菅組の創業者)菅 米吉の名前が刻まれています。

160年を時を紡ぐ、宮大工の歴史。
創業から100年、菅組はものづくり工務店として、「自らの手でつくる」ことを守り続けてきました。建築大工をはじめ技能スタッフを25名ほど自社に有していますが、技能スタッフを社内に在籍させることは、積み重ねてきた技術を次の世代に引き継ぐために必要なシステムであり、 失われつつある手の技術を後世に残していくことにもつながります。上の大工の年表はそうした菅組の歴史そのものでもあります。